こんにちは。どど(@dodoedoeten)です。
アーネスト・サトウという、日本の『佐藤さん』みたいな名前のイギリス外交官がおりまして、彼は江戸末期に19歳で日本にやってきました。その後25年も日本に滞在しました。
『一外交官の見た明治維新』という彼の本は、歴史の授業で習う『生麦事件』や、白刃に狙われたり、紛争や火事、血なまぐさい体験談が細かく書かれています。それはそれで歴史的関心があるのですが、私が今回紹介したいのは、(サトウを含めた当時日本にきた)外国人たちの『言語の壁』です。
『言語の壁』はオランダ語
『言語の壁』というと『英語か?!』と思うかもしれませんが、当時、日本人が知っていたヨーロッパの言語は『オランダ語』だったので、なんとこんな感じで日本人と外国人は会話していたのです↓
▪すごい大変だなコレ!! さらにサトウは…
などと書いております。
う〜んちょっと面白いすねぇ!全然話し進まないよ…!しかも外交などの重要な会議などで、基本、責任取りたくないじゃないですか。自分が変な返答して相手の利益になったら、上から超怒られるわけなので…。だからなのか3ヶ国語の『言葉の壁』を利用して、なるべく事が進まないようにしてたんじゃないですかね。『THE 先延ばし』戦略!
この『先延ばし』戦略に外国人たちは、超イライラしてたのですが、さらにもっと頭のくることがあり、、、
日本人のオランダ語は200年前のものだった!
200年前とか『はィ?』という感じですね…!3ヶ国語会議以上の困難。
日本人の知っていたヨーロッパ言語はほぼ『オランダ語』だけなのに、そのオランダ語が200年前から(鎖国スタート時から同じ)アップデートされず、オランダ育ちの通訳(ヒュースケンかも?)のオランダ語を『おかしい!!』とディスるという…y( ꒪◊꒪)y
江戸時代の外国語うつり変わり
現在だと、外国語は第一に英語があがりますが、江戸時代当時は『オランダ語が主流』だったのです。江戸時代からオランダと関係が深かったのだから、本来だったら今でもオランダと友達くらいの感覚でOKな気がしますが、英語にとって変わられた上、交流も頻繁じゃないのは残念ですね…。
( ◠‿◠ )☛最後にちょっとほっこりするサトウのエピソードを…
この幕末〜明治外国人ネタ、もう少々やります!(それかこの記事に追加します。載せたい四コマちょっと間に合わなかった…いつも見てくれてる方ありがとうございます!)←追加しました!11/17