江戸とアート発信ブログ

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上野を歩くと江戸屋敷に出会う!「旧因州池田屋敷表門」へ行ったよ

      2017/01/12

本日も「#江戸活in上野シリーズ」で紹介していきたいと思います!前回前々回はこちら。

 

上野は、美術館やあの私大美大生が憧れてやまない、天下の「東京藝術大学」があります。その東京藝大方面に歩いていきますと、なんと、このような江戸屋敷に出会います。


 

 


ど〜ん!とした門構え。

突如現れてびっくりします。前回の上野東照宮の金ピカとは大きな違い。

場所はこの辺です

地図でお分かりのように、東京国立博物館の構内にある位置づけ。
この門は「黒門」と呼ばれ「旧因州池田屋敷表門」というかつての鳥取藩のものです。
重要文化材に指定されています。上野は文化街だねぇほんと。

 

ここに元々「黒門」があったわけではなく、最初は今の丸の内3丁目にあった鳥取藩池田家江戸上屋敷。それを明治時代になってから別の場所に移動。上野には昭和29年(1954)に移築されたそうです。

上屋敷とは?

「上屋敷」があるなら、お察しの通り「中屋敷」「下屋敷」もあります。主に

 

上屋敷…大名やその家族(妻子)が住む屋敷。
中屋敷…大名の世継ぎや隠居した藩主が住む。
下屋敷…大名の別荘的な存在。郊外に建てられることが多かった

といった具合です。

 

ですから、この門の向こうには大名やその家族(妻子)が住んでいたんですよ〜^^想像してみて〜!お殿様のおな〜り〜ですよ!

 

それはそうと、各藩には石高と言って身分が与えられていたんですけど、その石高によって門構えも違いました。
つまり、石高の低い大名と高い大名とでは門構えが異なり、その形を見れば一発でどれくらいの石高かがわかりました。(ある意味怖っ)

 

↓この上野にある鳥取藩上屋敷の門構えは、両側に番所が設置されしかも屋根が立派な「破風(はふ)造り」
この門構えが許されるのは、10万石以上の大名からなのです。

 

鳥取藩は調べてみたら32万5千石ありますね。
遡ると、家康の二女と婚姻があったりと外様大名だけども親藩(すごく簡単に言うと、徳川家と血縁関係がある)ということだそうで、この門構えの意味も納得のいくところです。


この黒門は、土・日・祝日10:00~16:00に開放している模様。この日は平日でしたので残念;;天候によって中止されてることもありますので、ご注意!

 

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