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源内に才能を見いだされた大田南畝(おおたなんぽ)

      2016/12/31

いつもブログをお読みくださりありがとうございます!どどです^^
前回、平賀源内にていて紹介しました。本日は、その源内に才能を見いだされた「大田南畝(おおたなんぽ)」について紹介します^^

 

大田南畝って誰?美食の人じゃないよ!

さてさて江戸に興味がない人は、大田南畝(おおたなんぽ)「誰?!」といった感じでしょうか。ペンネームの一つに「蜀山人(しょくさんじん)」があるので、美食家の北大路 魯山人(きたおおじ ろさんじんとごっちゃになりそうですが、違います;▽;

「蜀山人(しょくさんじん)」江戸期の人で、

「北大路 魯山人(きたおおじ ろさんじん)明治〜昭和期の人です。

 

華やかにデビュー!順風と思いきや…

生まれは下級武士で御家人です。御家人とは徳川将軍に直接謁見できずに乗る事も駄目でした。しかし、若い頃から勉強を頑張り、19歳の時に源内の目に止り「寝惚(ねぼけ)先生文集」の序文を書いてもらました。

デビューがとても華やか!あの天才源内に書いてもらえるとか凄いッ!今でも有名な人に本の帯を書いてもらえると、買い手の目にも止まりますし、本の売り上げにも影響しますよね。順風なスタートに大田南畝はこの才能で、楽しく爆笑の人生を送ってきたのではないか?と思われますが、そうでもないんですね。

 

田沼時代蘭学を始め、蔦屋重三郎出版文化や川柳・狂歌など江戸文化が華開いた時期だったのです。この時代に、平賀源内や大田南畝/杉田玄白/山東京伝などヨダレが出ちゃいそうなくらい有名人がたくさん出てきました。しかしこの時代も20年ほどで幕。その後の松平定信時代(寛政の改革)になって、そういった文化や人を取り締まってしまい、大田南畝もとても生きづらくなりました。

3コマ目の「学問吟味」の試験を受けた時は、トップ合格だったのですが狂歌人として有名すぎたので、出世できないかも?!;;とせっかくのトップ合格も泡状態?!といった具合でした。しかしその後給与がちょっと増えました。時代が変わると有名だった事も仇となることがあるのですね;;(この大田南畝のトップ合格は御家人の中でトップでして、旗本のトップ合格はあの「遠山の金さん」のパパだったのです。)

 

大田南畝の永代橋の句

文化4年、深川富岡八幡宮でお祭りがありました。
やってきた大勢の人の重みに永代橋が耐えられず、落橋事故が起きてしまいました。行方不明者や死者は500人とも1500人とも言われその現場に大田南畝が偶然おり、以下の句を詠みました。

永代と かけたる橋は 落ちにけり きょうは祭礼 あすは葬礼

この句を初めて見た時、凄い句だな…と。
人間の運命というのは今日と明日で全然違うものになる可能性があるのです…。

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