江戸とアート発信ブログ

*

「見返り柳」から徒歩15分の地に埋葬。浄閑寺へ行ってきました

   


前回は、吉原の「見返り柳」について書きました。

吉原というのは、遊郭であり、文化の発信地でありました。吉原の華やかな面は、文化/ファッション/粋な遊びなのでしょうが、陰の面は、親の借金を背負って売られてきて、外の世界へなかなか出られなかったり、過酷な環境などが挙げられます。


特に、この見返り柳から歩いて15分ほどのところに「浄閑寺」という別名「投込寺(なげこみでら)」というお寺があります。遊女が亡くなったらここへ葬られたんですね;;看板には

安政二年(一八五五)の大地震の際、たくさんの新吉原の遊女が、投げ込み同様に葬られたことから「投込寺」と呼ばれるようになった。


と、あります。安政二年の大地震は、ものすごく大きい地震でした。「安政の大地震」と呼ばれる大地震は、江戸だけでなく前年に起きた安政東海地震/安政南海地震などを含めて呼ぶことがあります。

この「浄閑寺」では江戸から昭和にかけて、一説には二万数千にも及ぶ人々が埋葬されたとか…。
「見返り柳」から歩いて15分ほどのところに、遊女が埋葬されたお寺がある。色々と考えますね…

 

場所

 - 江戸活